後ろを振り向いたまま、ロットを見つめるガッツ。
「何をしてるのですか?」
 一瞬周りの空気がシーンとなる。
「こ、これはロット殿、い、今、格闘技の相手をしてやっているのですよ」
「はあ……」
「さーて、じゃあなリリス」
 気まずくなったのだろう、何事もなかったかのようにその場を去ろうとするガッツ。まさか続けるわけにもいかない。ここで普通なら身体が震えて硬直する女性が多いかもしれない。
が、リリスは違った。行動する女なのだリリスは。

 いきなりガッツに殴りかかったのだ。しかし――

「…………」
 ロットが後ろから抱え込む。
「駄目です」
 首を左右に振るロット。ググっと両手を掴まれる。

「もう終わりだぞ、練習は」
 にやにやしながらガッツが言う。それがさらに怒りを倍増させる。ギラッとガッツを睨みつけるリリス。
「リリスさん……」
 ロットがなだめる様にリリスにささやいた。リリスもようやく判断出来たようだ。

「じゃあなリリスまた遊んでくれ」
 平気な顔をしてガッツは去っていった。二人にしばしの静寂が訪れる。






「大丈夫ですか?」
「ええ……」
悔しさだけが滲む。ロットもわかってはいた。しかし騎士にそれも団長にメイドが殴りかかれば、メイドの方にも処罰がくるのだ。騎士とは中央の試験を受けてその資格を得る。その上で自分の仕官先を自力で見つけお仕えする。身分は准貴族。
 准貴族とは平民が試験により貴族の準ずる地位に上がった時の呼称だ。この国、いやこの世界は絶対的な身分制。

 平民、准貴族、貴族、王族……

 おおまかにいえばこうなる。騎士は准貴族の身分。メイドは平民……これが現実なのだ。これだけの事を世間や役人に訴えたとしてもガッツは厳重注意ぐらいで終わってしまう。それにしてもリリスは危機を逃れた。

 ロットは没落とはいえ貴族の身分だ。だからこそこの場は助かった。下人だったら、黙って見とけ!の一言で終わりだったかもしれない。
「ありがとうございます」
「いえ……あんな言い訳が通用するのもどうかしてますよ」
「…………」
 はだけた胸をゆっくり直す。悔しい気持ちでいっぱいだ。
「そ、それじゃあ私はこれで」
「はい」
 リリスは深く一礼して、この場を去っていった。一応自分の身分が役にはたった。しかしただロットも黙っておくしかない。へたに自分が動いても強い後ろ盾もない。男官では。一つ間違えば自分の立場も危なくなる。ガッツの背後には有力貴族の影があることをロットは知っている。そしてその有力貴族に自分もある意味お世話になっているのだ。

 没落貴族……

 同じ貴族でも……


 このむなしさをロットは今しみじみと感じていた。




 リリスが危険な休憩から戻ってくると、メイド長のレイカが忙しそうに走り回っている。どうやら急な客らしい。レイカ自身が忙しく動くことはまれだ。
「あ、リリス、メイド2〜3人連れてって竜苑の間へ行って頂戴」
「え、ええ……わかりました」
「どうしたの?顔色が悪いわね」
「いえ……なんでもないです」
「そう、よろしくね」
 スッとリリスの横を通り過ぎるレイカ。


 ――この……香水?ガッツ?

 リリスを再びチラッと見るレイカ。明らかになにか動揺しているように見える。レイカはなんとなく察知したようだ。リリスはそそくさと竜苑の間へ向かって行った。

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